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  • 執筆者の写真綾里食べる通信

【細谷靖浩】小石浜の負けず嫌い王の素顔



人には負けたくない〜生い立ち〜


今回取材させていただいた細谷靖浩(ほそややすひろ)さんは25歳から恋し浜でホタテ養殖を始めて早30年の漁師である。


漁師の家系に生まれた靖浩さんは小さいころから親の背中を見て育ってきた。その影響から、当たり前のように漁師になった。最初は、マグロやサンマの船乗りから始めた。しかし、同じく漁師をしていた兄を海難事故で亡くしたことをきっかけに養殖に切り替えた。現在は、主にホタテの養殖を行なっている。養殖を行なっている小石浜は、静かであることから養殖に向いている。靖浩さんはこの小石浜で漁師という人生を歩み続けていくこととなる。


靖浩さんの取材の中で特に印象的だったのは、「人には負けたくない」という一言だった。「誰よりも早く、多く獲りたいからね。人には負けたくない。漁師はみんなそうよ。」と話しながら船をまるでラジコンのリモコンのように操縦する姿は少年のように見えた。

三陸ダイバーズの方々がアワビ放流後のアワビ調査を行うための船に同伴させていただいた。

漁師とは?


漁師の朝は早い。毎朝4時ごろ目覚めて海の近くの倉庫に降りる。そこでコーヒーを入れ朝を迎える。5時ごろ海岸に降りて6時から船を出し、早速仕事を始める。

漁師の仕事で大変なことの1つは朝が早いことだが、その分早く終わる。夏の間は10時ごろまで、涼しくなってきてもお昼ごろには陸に戻ってくる。


7年前の東日本大震災では、小石浜も大きな被害を受けた。幸いにも、自宅の少し下までしか津波は来なかったものの、港にある自前の船は流されしまった。


小石浜で唯一写真を撮っていた靖浩さん。津波の恐ろしさを物語っている。

現在は、歴史上最長期間の貝毒*によってホタテが半年近く獲れていない現在、ホタテ出荷による収入はゼロである。靖浩さんも貝毒に苦しめられている1人だ。

また、近年の小石浜湾は水温、水位の上昇と潮の流れの変化によって多くの生産者が頭を悩ませている。


水揚げが出来ないホタテ生産者は、ホタテを吊るす紐の手入れや紐の制作を行っている。こうした作業は、はっきり言ってお金にならない。だが、こうした細かい作業ひとつひとつに全て意味がある。ひとつでも欠けると成り立たないのだ。たとえすぐに結果が出なくても、丁寧に手入れをする靖浩さんの仕事に対するまっすぐな姿勢から、熱い人柄が伺えた。


もう1つの素顔


靖浩さんの作業場にお邪魔すると、玄関前の屋根の下に大量のホタテ養殖用ネットが積み上げられていた。そこの屋根下部分にはウニやアワビを獲る全長6メートル近くある網やアワビおこしが所狭しと並べられていた。また、ウニやアワビを採る際に使用する箱眼鏡は自ら手を加え、使いやすいように工夫されていた。このように、ひとつひとつの道具を大切に扱っている様子が伺えた。

箱眼鏡を咥える靖浩さんの眼差しは真剣である。

持ち前の器用さは、震災後恋し浜駅近くにある、地元の漁師と観光客が集う「恋し浜デッキ」の建設にも携わった。それだけでなく、この恋し浜デッキの中では、靖浩さん手作りのストラップも販売している。


靖浩さん手作りのストラップ。

とにかく漁業を知ってもらいたい


靖浩さんは漁師に求められる能力は「対応力」だとおっしゃっていた。漁業は船が足となる。そのため、天候は大きく仕事に影響する。また、「海の上は競争」だとおっしゃっていた。やはり、多くの漁師が揃って同じ湾で同じ獲物を収穫するため、「誰にも負けたくない」という強い思いが強く伝わってきた。


現在漁師は若手不足である。取材をしていて、漁業は、自分が頑張った分だけ結果がついてくる、やりがいのある仕事であると感じた。サラリーマンとは異なり、休みも不定休であり、朝も早く、力のいる仕事だが、靖浩さんは漁師は「海に出るのが好き。面白い。」とおっしゃっていた。実際に漁師の仕事がどのようなものか大変そうなイメージだけで、具体的に仕事内容を知らない人も多くいるだろう。まずは漁業について知ってもらい、興味を持ってもらいたいと考える。若手不足が大きな問題となっているからこそ、この記事が多くの人の目に留まってくれることを願っている。


※貝毒とは、魚介類が生産する毒物の一種である。


 

編集者

網谷 夏那/ 中丸 美奈


夏那(左)、美奈(右)


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