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  • 執筆者の写真綾里食べる通信

【佐々木惇】 浜全体で盛り上げて、次の世代につなげたい


唯一生産者が主導権を握ることができる、恋し浜システム


恋し浜ホタテの立役者、佐々木淳さん


佐々木淳さんら恋し浜ホタテ生産者は他の漁協と比べてもかなり画期的な恋し浜ホタテの流通システムに尽力されました。恋し浜のある岩手県では、県 例えば佐々木淳のホタテって売り方すると、ある程度うまくやれば全部売りきる自信がある、でもそれはやっちゃいけないんだよ。恋し浜ホタテは恋し浜ホタテ生産者全員のものであって、俺のものではないから。 の漁業協同組合連合会が一括して水産物を販売する「共販制度」が取られています。一括して入札会から販売するため、生産者が価格を決定することができず、時には安値で卸さざるを得なくなる場合もあります。


これに風穴を開けたのが、恋し浜システムです。具体的には、恋し浜の属する綾里漁協が買受人として登録。恋し浜ホタテを綾里漁協が買い受け、綾里漁協(小石浜青年部)が直接消費者に販売します。この際買い戻し価格を、生産者自身が決めることができるようにしたため、従来のシステムと比べ安価な時の入札価格の底上げにつながり、浜全体の収入安定につながります。


佐々木淳さんはこのシステムを「生産者が唯一できる、最大のこと」と説明します。

力強い語り口の佐々木さんの目には生産者としての誇りがこめられていました。

恋し浜漁港で取れたホタテ

みんなで盛り上げること、それが次の世代に繋がっていく

恋し浜ホタテは恋し浜ホタテ生産者全員のものであって、俺のものではないから。

画期的な生産システムを作り上げてきた恋し浜ホタテ生産者。その考え方の背後には常「皆で一緒に高みを目指し、次の世代につなぐ」という姿勢があります。


「例えば佐々木淳のホタテって売り方すると、ある程度うまくやれば全部売りきる自信がある、でもそれはやっちゃいけないんだよ。恋し浜ホタテは恋し浜ホタテ生産者全員のものであって、俺のものではないから。だから以前東北食べる通信で恋し浜ホタテが紹介された時も、『佐々木淳さんのホタテ』ではなく、『佐々木淳さんたちのホタテ』のように、名前の後に複数形にしてほしいと言った。個人にするとスポットがそこにしか当たらない。周りに同じ生産者が必ずいるはず。

絶対に個人でやっちゃだめ。個人でやるのは簡単なんだよ。でもそれって今は良くても未来に続かない。自分たちがくたばった後にどういう感じで動いているかっていうのを想像して動くことが今の我々の利益にもなる。」


佐々木淳さんらの上の世代は、浜全体で協力し生産量を調整することによって、量より質を確保し、恋し浜ホタテブランドの基礎を創りました。佐々木さんらの姿勢は、こうした上の世代のDNAを受け継いでいるように感じられます。


漁協との関係性が、「出る杭だけど叩かれない」秘密

漁協があってこそ自分がある

佐々木淳さんは、漁協との連携の重要性も指摘します。


「自然と対峙する人間たちはいざという時は誰がどうなってもいいから獲るっていう感じになっていく。海はみんなのもので境がないから、我が強いものだけが勝っちゃうんだよ。それを規制するルールを決めるのには漁協が必要。漁協があってこそ自分があるってちゃんと思ってないといけない。」


こうした考えのもと、佐々木淳さんらは漁協と協力して今の恋し浜システムを作ってきました。

どこかの地域の食材が売れ始めると、〇〇水産などの買受人業者が、対抗してその産地の食材が出回らないように妨害が入れることがあります。そうして尻すぼみになっていく産地や食材も多いのです。でも恋し浜ホタテはそうはなりませんでした。どうしてでしょうか。

そもそも潰される食材は、それが個人を活動単位としており、後ろ盾がないからだと佐々木さんは話します。しかし恋し浜の場合、漁協という強力なバックサポートがあるため、こうした買請人の圧力にも押し潰されずに済んでいるのです。

「出る杭だけど叩かれない、とことん貫いたからこそ今がある」

と佐々木淳さんは熱く語りました。


「受け入れ体制」が震災時も、未来においても重要


震災前から消費者と交流するイベントを積極的に行っていた、綾里漁協の恋し浜。その取り組みはまさに震災後、「ピンチがチャンスに」なり、圧倒的なスピードでの復興につながりました。


例えば、ホタテを通じて恋し浜の漁師とつながっていた消費者が、たくさんの支援物資や寄付金を集めてくれました。また、日頃から消費者と交流していた恋し浜、綾里は自然と外から来た人を受け入れる体質ができていました。そのため、「ダイバー=密漁者」と決めつけられ、他の浜で受け入れを断られていた、ボランティアダイバーの拠点をここに設置していただくことができ、がれき撤去も多くの協力のもと行うことができました。


また従事者が減りつつある漁業界の未来においても、佐々木淳さんは「誰かが来れる態勢を作っとけば、浜は廃れないと思う。」と、浜の受け入れ態勢が重要だと語ります。実際恋し浜ホタテなどを通して、生産者が浜に通うようになり、浜で漁をしたい、という人も出てきています。佐々木淳さんも今年から一人女性を雇い入れました。


浜で取れるホタテをブランド化し、消費者と積極的に会う機会を作る。こうして浜で交流する人を増やし、浜全体が盛り上がってくると、そこに魅力を感じ、そこで漁をして暮らしたいと考える人が出てきます。そうした人に門戸を開いておけば、浜に新たな人が入り、不足部分を皆で補いながら、持続可能な漁業ができるのです。


浜での作業。恋し浜では、自分の家の分の作業が終われば、皆の作業が終わるまで、他の人の分を手伝う風土がある。

恋し浜から、岩手のホタテをもっと盛り上げたい


恋し浜ホタテシステムを進めるうちに、佐々木淳さんは浜にとどまらず、より広範囲で良い影響が出てきていると実感していると言います。


具体的には、自分たちが自分たちのホタテを直接広めることによって、「〇〇水産が卸したホタテ」だけではなく「生産現場を売る」ことで、岩手県全体をPRできるのです。また、恋し浜に刺激を受けて、ブランド化に踏み切った他の浜も出てきています。


「ここ恋し浜から、大船渡、岩手のホタテを盛り上げたい。勝手な使命感ですが(笑)」

このように語る佐々木淳さんの歩みは止まりません。

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